最近レッスンをしていて、ふと「Education」の文字が心に浮かんだ。
生徒が演奏している、その作法というか、アプローチというか、たたずまいが「よくEducateされている」と、ふとそう感じた。
それで、気になったので改めてEducationとは何か、考えてみた。
Educationと聴いて皆さんが思い描くのはどんなことだろう?
ひょっとしたら多くの方が学校教育の事を思い描くのではないだろうか?
学校で才能が開花しなかったり、その他色々な理由で学校を楽しめなかった人は否定的な印象を持っているのではないだろうか?
私自身の事を言えば、小中高を通して学校というものにはほとんど愛着はなく、良い印象も思い出もそれほど持っていない。はっきり言って黒歴史と言って良いくらいで、高校で唯一楽しかった思い出は夏休みに出された数学の問題集くらい。あまりに楽しいので、60問くらいの問題集だったように記憶しているが、出された瞬間解き始め、夏休みが始まる前に先生に持っていったりしていた。私が一番早い事もあったが、たしか東大に現役合格した当時学年No.1の女子に先を越されて「さすが・・・!」と思ったこともあったような。。。
話が逸れたが、Educationには学校教育の他に
・育てる ・(能力などを)養う ・訓練する ・(動物を)仕込む ・慣らす
などの意味があるらしい。
ちなみに Educate the ear to music. →耳を音楽に慣らす。となる。(研究社 新英和中辞典より引用)
うん、確かに私が感じたEducationは、育った、とか養われた、とか慣れた、と言った方が近いような気がする。そこにはネガティブな要素、がんじがらめの縛りの要素などは感じられない。
ちなみに、まぁなんか音楽の世界(特にギターの世界)には良くある話で「音楽に教育は必要ない」とか「音楽は感じるものだから教えられない」とか「教育=没個性」みたいな、教育アレルギーというか教育にネガティブなことを言う人はこの業界にはわりと大勢いらっしゃるのだけれど、広い意味で考えると、そういう人たちも誰かから育てられ(本人は盗んだ、とかコピったとか表現するかもしれない)、やっているうちに何らかの能力を養い、楽器や世界に慣れた、という点では立派にEducationを受けてきた、あるいはEducationに「まみれて」きたわけであって、彼らの言う所の教育とはきっと学校教育などのような狭い意味でのそれを指すのだろう、と思う。
だから、やはりすべての人にとってEducationは大事な事だと思うし、狭義の意味での教育を否定的にとらえたとしても、それは広い意味でのEducation、つまり教育の本質とは関係がないのではないか。
何が言いたいか、というと
やっぱりEducationは大事だし、
それは一般的に誤解されているような(?)狭い意味に閉じ込められるようなものではないし、受け取る側は誤解をしてはいけない、ということ。
「教育なんてくそくらえ」と言っている人たちを見て、「あ~、教わる必要ないんだな。」とか「やっぱり才能だね。」みたいに誤解をしてはいけないという事。そういう人たちも例外なくEducationにまみれているし、学校ではないにしても他人から色々な事を教わってきたはずだし、才能を伸ばすよう努力し続けているはず。
ところで、各地で色々な方の演奏に接すると、逆に誰かに教わっているはずなのに、広い意味のEducationすら全く感じない演奏に接することもある。ただガチャガチャと指を動かしているだけのような。
ただ教えているだけではEducationは身につかない、ということかもしれない。
だから、生徒にEducationを感じる、というのはとても幸せな事かもしれないし、
これからも頑張ろうと思った次第であります。
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