2012-08-03

ロンドンオリンピックに感じること。

体操の内村選手の個人演技が素晴らしかった!!

「美しい体操」という内村選手の理想とする体操が、私のような体操を知らない者にも十分感じられる体操でした。

前評判と裏腹に起こった練習や予選での数々の失敗には、「大丈夫かなぁ」と余計な心配もしましたが、個人総合ではバッチリで、それが逆に彼の精神力の強さを感じさせました。

ところで私が最も衝撃を受けたのは、意外にもその内村さんの個人総合メダル獲得直後の内村さんの母親へのインタビューでした。

「息子さんの金メダル獲得に対してどう思いますか?」

というアナウンサーの質問に対し、

生きていれば、それでいいんです!

という返答をされていたと思います。

金メダルを喜ぶでもなく、息子を賛美するわけでもないこの母親のコメントは、一見的外れな返答と思う人もいるかもしれません。

しかし、私にはものすごくショックでした。と同時に頭の中で色々なことがスッキリした気がしました。

というのも、私が最近読んだ子育て本には「自己肯定感」という言葉が盛んに登場するのですが、
内村選手の母親のこの一言はまさに

内村選手の在り方、(成功も失敗もひっくるめて)その存在そのものを「肯定した」一言

であり、

内村選手は(そんな母親に育てられた)「自己肯定感」の塊

なのではないか、ということが感じられたのです。

今、私が自分への課題として勉強している”「自己肯定感」を育てる教育”と”理想的な人間関係のあり方”を実現している親子がここにいる!!

そのことに衝撃を受け、同時に最近考えていた様々な事がスッキリと理解できた気がしました。

「自己肯定感」についてはまだまだ勉強中ですが、確かに言えるのは、
「自己肯定感」が弱く、見栄やプライドを植え付けられて育った人間のプライドはガラスのように繊細で折れやすく、
「自己肯定感」が強く、多少の失敗があろうと自分の存在を肯定できる人間は打たれ強い、ということです。

そういう目で今回のロンドンオリンピックを俯瞰してみるとなるほど、色々なことに気付かされます。

とりあえず私のやろうとしていることは間違っていないかも?
と自己肯定しておきましょう。笑

2 件のコメント:

  1. 一昔前の教育を受けた人間は、「自己肯定」をすることがなかなかできないのではないかと、ふと拝読して思いました。

    自己否定、自己犠牲が美徳とされたように教え込まれると、奇妙に感情が湾曲します。

    時折、よくできた、など褒めてもらっても、素直に信じることができず、逆に落ち込む、という、負のスパイラルに陥るのですが、

    今回の日本のメダリストたちを見ていると、やはり、

    まず、親御さんが子供の才能を信じて、全力で受け止める。

    そうしてそれをまっすぐに背骨に刻み込んだ人たちが、美しい笑顔を見せてくれているなぁと、感じております。


    一言申せば、

    大事なニュースが、五輪でごまかされてしまっているのが、
    ちと、不満です。


    よい記事を拝読させていただきました。
    ありがとうございます。

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  2. 本郷さんへ

    コメントありがとうございます。
    負のスパイラルに陥りそうなときに大事なことは「人間性」と「成功、失敗」を切り離すことだと感じています。

    つまり

    「できたから偉い(人間)」「できなかったからダメ(な人間)」

    ではなく、

    「できてもできなくても人間としての質は変わらない」ことを前提に
    「できたら努力を認め、あるいは環境に感謝する」「できなかったらその部分は反省する」という風にとらえることが「自己否定」のスパイラルに陥らないためには必要ではないかと思っています。

    そういう目でみているからか、今回、結果が芳しくなかった選手の多くは「できないと(人として)ダメ!」というプライドを(植え付けられ?)抱えながら戦っていたように感じました。

    本郷さんのお悩みは良くわかります。
    私は「よくできた、偉い!」と人間性を(不当に!)褒められた場合は「よく頑張ったということかな」程度に受け止めるようにしています。

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